スザルル 騎士皇子&学園パロ
たったったった。
薄く靄のかかる早朝の林の中、ひんやりとした空気の中に規則正しい軽快なリズムが響く。
視線を上げれば、明け切らぬ空がゆっくりと柔らかく明るい紫色に染まっていくのが見えた。
「空の色は変わらないな。」
はっはと規則正しい呼吸の合間に、ふと言葉を紡ぐ。
額から滴る汗が顎を伝い、トレーニングウエアの首に染みた。
スザクが、元居た世界からこの世界に来てから、もう一週間が経っていた。
此方の世界の枢木スザクは、アッシュフォード学園に通う普通の高校生だ。
スポーツは万能だが軍人としての本格的な戦闘訓練を受けた訳ではない身体は、いつもよりも重く感じる。
たったった。
少し乱れてきた息を整えながらリズムを崩すことなく足を進めていくと、三階建ての洋館が見えてきた。
アッシュフォード学園の第一男子寮。今、スザクが身を寄せている場所だ。
いや、この世界のスザクが本来居るべき場所なのだけれども。
(アリエス宮が恋しいなぁ。)
毎朝のランニングは、騎士であるスザクの日課だ。毎日かかさず、ルルーシュ皇子が目覚める前にアリエス宮の広い庭園を走っていた。
けれど今は、見る景色が違う。そのことに郷愁が呼び起こされる。
どうして自分は此処にいるのだろう。自分が居るべき場所は、此処ではないのに。
「殿下は、無茶してないかなぁ。」
頭は良い癖に、時折驚くほどの天然ぶりを披露する唯一無二の主君を想う。
読書に夢中になって夜ふかししていないだろうか。
薄着のままで外に出て風邪などひいていないだろうか。
人のことにはよく気が回るくせに、自分のことになると途端に疎かになる人だから、ちゃんと見ていてあげないといけないのに。
自分が傍に居られないことがこんなにももどかしい。
「……はあ。」
吐いたため息は、誰に聞かれることなく朝の空気に溶けて消えた。
「おはよう、スザク。今朝もまた走ってきたのか。」
聞き慣れた声がして寮の入り口を見ると、学生服を着たルルーシュが立っていた。
主に姿形はそっくりな、それでいて中身は違う、この世界のルルーシュ。
いや、中身が違うのはスザクの方だ。学生のスザクの身体に、別世界の騎士であるスザクの魂が入っている。
「おはよう。ルルーシュ。習慣だからさ。身体を動かさないと落ち着かないんだよ。」
スザクは足を止め、滴る汗を腕で拭きつつ返事を返した。
息が乱れている。何時もなら、この程度のランニングで息が乱れることなんて無いのだけれど、どうにも思うようには身体が動かない。やはりこの身体は、自分のものでは無いのだ。
「その様子だと、今日も元には戻らなかったようだな。」
そう言ってルルーシュは、手にしていた白いフェイスタオルを投げてくれた。それを受け取って、有難く汗を拭かせて貰う。ふわりと香る柔軟剤の香りが心地よい。
「凄い汗だな。いったいどのくらい走って来たんだ。」
「えーと。だいたい、学園を一周する遊歩道を20周くらいかな。」
「……は?」
ルルーシュは大きく目を見開いて固まる。アメジスト色の瞳がこぼれ落ちそうだ。
「遊歩道は、一周で3キロはある筈だぞ。それを20周だと?」
「んー、この身体だと重くてさ。このくらいが限界かな。出来れば、もう少し鍛えたいところだね。」
一般学生としては随分と鍛えている方だとは思うが、騎士としてはまだまだ鍛錬が足りない。
「……お前、本来の身体能力はいったいどれだけ高いんだ。」
信じられないと呟くルルーシュに、スザクは肩を竦めて見せた。
そんなスザクを見て、ルルーシュはふむ、と考え込むように口元に手を当てる。
「身体能力はこちらの世界のスザクのままだということは、やはり、平行世界にある別世界のスザクと意識だけが入れ替わったというのが一番妥当だな。どういう理屈かは分からないが、入れ替わったなら元に戻す方法もある筈だ。」
「問題は、どうやってその方法を探すか、だよね。」
タオルを首に掛けて、ルルーシュに向き合う。
最初の数日は、夜眠って朝になれば元に戻っているのではと淡い期待を抱いていたが、日を重ねても状況は変わらず、それはもう諦め気味だ。
自然には元には戻れない。何かしらの切っ掛けが必要なのだろう。だが、何が必要なのか。さっぱりわからない。
「分からない。だが、必ず見つけ出す。あいつには戻ってきて貰わなければならないからな。」
決意を込めた瞳が、スザクを見据えた。求める主とそっくりの、澄み渡ったアメジスト。
ルルーシュが『あいつ』と呼ぶのは、本来こちらの世界にいるべきスザクのことだ。
「どうして、そんなに戻ってきて欲しいの?」
スザクは素朴な疑問をぶつけてみた。
この世界で目覚めたスザクが「自分はこの世界の人間じゃない。ルルーシュ皇子の騎士だ」と言った時、誰も信じてはくれなかった。
体育の授業でサッカーの試合中に倒れたスザクを心配して集まってきた少年達は、「そんな冗談が言えるくらいなら大丈夫だな」なんて笑って肩を叩いてきたくらいで、全く本気にされなかったのだ。
けれどルルーシュだけは、最初からスザクの言葉を信じ、こんなにも親身に心配して解決策を探そうとしてくれている。
その目的が、本来のスザクを取り戻すためだということは直ぐに判った。
その必死さに、ただの友人に向ける心配以上のものを感じるのだ。
「どうしてって……。」
「ルルーシュにとって、この世界の俺はどういう存在なのかな。」
そう問いかけたスザクは、口角を微かに上げて薄く笑みを浮かべた。
少し意地の悪い質問かもしれない。このルルーシュも素直じゃないから。
「俺にとってあいつは――小学校の頃から知ってる幼馴染みで、クラスメートで……誰より大切な、親友だ。」
ルルーシュは、慎重に、言葉を選びながらそう口にする。
「親友、ね。」
「なんだ。何が言いたい。」
「別に?」
スザクは笑う。
本当に、素直じゃない。
ルルーシュは、この世界のスザクの事を語る時、酷く切なげな表情をすることに気がついていないのだろうか。
あれは、ただの友人に向ける顔じゃない。
本人に自覚があるかどうかは、分からないけれど。
スザクは背筋を伸ばし、改めて目の前のルルーシュに向かい合って手を差し出した。
「俺も、早く元の世界に戻らないといけないんだ。俺のルルーシュは、本当に目の離せない人だから。こうしている間にも、どんな無茶をしているか分かったものじゃない。だから、君のスザクを取り戻す為にも、俺に協力して欲しい。」
「勿論だ。」
ルルーシュは、差し出された手をしっかりと握り返し、はっきりと頷いた。
***
一度部屋へ戻り、シャワー浴びて汗を流して、登校の準備をする。
スザクが用意をする間、ルルーシュはスザクのベッドに腰かけて、今日一日の予定とこちらのスザクとして過ごす上で注意するべき事を説明してくれていた。
「今日の2限目の化学は要注意だ。担当教師のロイドは、いつも実験室に籠もっては、なにやら怪しげな実験を繰り返している。スザクの事がお気に入りで何かと実験の被検体になれと勧誘してくるからな。気をつけろ。絶対に引き受けるな。」
強い口調で言うルルーシュは必死だ。
「ロイドさん……こっちでも実験オタクなんだなぁ。」
スザクは、濡れた髪を拭きながら、向こうの世界でナイトメアの開発を担当する研究主任のロイドを思い浮かべていた。
向こうと此方の世界では、関係性は違えども同じ人物がいるようだ。探せば、黒の騎士団のメンバー達もこの世界の何処かにいるのかもしれない。
「それから、何度も言うが、勝手に学園の敷地の外へ出るなよ。スザクは、外出時には必ずボディーガードがつく事になっていて、その約束を破れば学園を転校させると親に言われてるんだ。」
「ボディーガードって……凄い待遇だね。」
「まあ、父親が父親だからな。」
こちらの世界の枢木スザクは、《日本》という国の政治機構のトップである枢木首相の息子であるらしい。
唯一絶対の皇帝陛下が治める神聖ブリタニア帝国とは違い、《日本》は民主主義国家ということで、国の政治を担う議会の議員や首相も選挙により国民が選ぶのだという。
「この世界の俺は、政治的に国を代表する最重要人物の息子、か。つまり、皇子のような立場なんだね。」
「まあ、日本における首相の地位は世襲では無いから、本当のVIPはあくまでスザクの父親で、スザク自身はただの一般人だがな。」
中身が入れ替わったスザクの為に、この世界の枢木スザクについて詳しく教えてくれたのは、ルルーシュだった。
スザクが、ちゃんとこの世界のスザクのフリが出来るように。いつも傍に居て、スザクが戸惑う度にいろいろ教えてくれる。
「スザクは、有力政治家の息子であるが故に、幼い頃から誘拐されかけたり、殺されかけたり、いろいろ危険な目に遭って来たんだ。だから両親がとても心配していてな。もの凄く過保護なんだ。どこに出かけるにも必ずボディーガードが付いて来るし、家を出てこの学園に入学する事もかなり反対されたと言っていた。全寮制でセキュリティーがしっかりしている事をアピールして懸命に説得したらしい。――ボディーガードなんか必要ないだろうってくらいには、スザクは強いんだけどな。」
ルルーシュは溜息を吐いた。
「護身術の一環として幼い頃から武道もいろいろ習わされていたし、特に剣道は、今ではインターハイで優勝する程の腕前だ。」
「へえ。なるほど。どうりで。」
スザクは、左手の手のひらに出来た竹刀だこを見やる。かなり年季の入ったそれに、この身体が剣道に関して相当の鍛錬を積んでいるだろうことが伺えた。
「剣道は、こちらでは日本の伝統武術なんだっけ。」
実は、今この身体を借りているスザク自身、幼少期から剣道をやっていた。出身地である《エリア11》の伝統武術であったからだ。だから、この手のひらのタコがどうやって出来たのかは身に染みて理解できる。
「そちらの世界では、日本という国は存在しないのだったか。」
「うん。こちらの世界で日本と呼ばれている場所は、向こうの世界では神聖ブリタニア帝国の一部で、《エリア11》と呼ばれている。俺が生まれた故郷だよ。」
スザクは、幼少期を過ごした故郷を思い浮かべた。
エリア11は、ブリタニア帝国の端に位置する小さなエリアで、四方を海に囲まれた、地下資源が豊富な地域だ。風土や文化は、この日本とよく似ていると思う。
10歳の時、首都ペンドラゴンに在るブリタニア軍の幼年学校へと進学して以来ほとんど帰ってはいないが。
「ルルーシュは?こちらのスザクとは幼馴染みだって言ってたけど、ずっとこの日本で暮らしているの?」
「俺か?俺は、昔はブリタニアに住んでいたんだ。」
「ブリタニア?」
「ああ。太平洋超えた向こうにある国で、10歳の時、母が仕事で日本に来ることになって、ついてきた。日本に来て転入した小学校でスザクと出逢って、スザクとはそれ以来の親友だ。」
「……へえ。」
此方の世界では、ルルーシュが海を渡って来たのか。俺達と逆だな、とスザクは思った。
神聖ブリタニア帝国の皇子ルルーシュと、その騎士スザク。
日本国首相の息子スザクと、そのクラスメイトで親友のルルーシュ。
それぞれの世界で、場所も立場も違うけれど、二人が出逢ったのは必然なのかもしれない。
出逢うべくして出逢った二人。そうして、共に過ごすうちに抱くようになった想いには違いがあるのだろうか。
スザクは、自分の内に潜むものに思いを馳せた。
主であるルルーシュの事を考える度に湧き上がる想い。それは、騎士が主君に抱くにはすこし歪な形をしている。甘く痺れるような、それでいてねっとりと重いそれは、いつの間にかスザクの心の中に巣くっていたものだ。
執着とも恋慕とも呼べるそれ。この想いを、こちらの世界のスザクも心の内に抱いているのだろうか。
(ああ、ルルーシュ……早く君に会いたい。)
目の前にいる主そっくりのルルーシュを見ながら、スザクは本当の主を想って痛む胸をそっと押さえた。
――もう一週間。君に会えていない。
続く
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